しんさくのねっとかわら版

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わたしはロボットなんだろうか?と幼少の頃思っていた その1

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1年10ヶ月前、母が他界した。 そして先週、後を追うように父も旅立っていった。 昭和ヒトケタ生まれで、ふたりとも80歳をこえていたから、天寿を全うしたと言っていいのではないかと思う。 葬儀のため、久しぶりに兄に会った。 誰かに「心境お察しします」と言われて兄は 4人家族の両親2人を失って、 「背中を支えていてくれた存在、それを失った…」 的な感じのコメントをしていた。 心の支えをひとつ失った、ということなのだろう。 そんな様子を目の当たりにしてか、 気がつくと僕もこれまでの人生をふりかえっていた。

僕は出生のとき、大変な目に遭った。

下手をしたら、生まれてこなかったかもしれないのだ。

僕が生まれる直前母は、北海道の寒村の長屋のような住居の屋根の雪下ろしをしたらしい。母親が胎児を腹の中にかかえていた状態で、サポートもなく屋根の上に上がったのは色々と事情があったからなのだが、詳しい話は省くとして、とにかく屋根から転げ落ちてしまったらしいのである。 当然母子ともに危険な状態になり病院に運び込まれたらしい。

なんとか生まれることができたが、からだのあちこちが故障していたり変だったりした状態で生まれてきたのだ。 まずは、それをひとつひとつ治すことから僕の人生はスタートした。 もちろん、生まれた直後のことは記憶にないし、 どんな様子だったか母から聞いたことしかわからないが、 当時母も相当に苦労したらしい。 だが一番大変だったのはこの僕ということで間違いないはずである。 当時胎児だったのだからどうすることもできないが、もし言葉がしゃべれたら 「冗談きついよまったくー」 と言っていたに違いない。

生まれてこれたのだからよしとしなければ… とも思うのだが、いろいろ故障したまま生まれたのはきっと大変だったんじゃないかと思う。 たとえば鼻。 片側の穴がせまくすぎてよく詰まった。 見た目はわからないが、実際はほとんど片方の鼻の穴しかないも同然である。 子供の頃の僕は口で呼吸してたことが多く、 写真をみると、いつもだらしなく口が空いていた。 だから子供の頃の写真はキライだった。 きっと見ていた人は「こいつバカないか?」と疑ったことだろう。 残念ながら僕自身もそう思ったはずである。

次に、肺活量だ。

肺活量も普通の人の半分くらいしかなかった。 体力測定で肺活量を計るのがとてもイヤだった。 全力を出してるのに「ちゃんとやりなさい」と言われるからである。

そして耳。

左耳がひしゃげたようになっているため学校でよく指摘された。

それはなんだ。

その耳はなんだ。

なんでひしゃげてるんだ?

そう言われても困るのである。

あと、大人になってからも カナル式のイヤホンが使えないことが判明してがっかりした。 ぱっと見わからないが左耳の穴が変形しているため イヤーチップをどう調整しても左耳には合わないのである。 しかたなくフック式をよく使ったが、メガネも使用するので メガネとフック式のイヤホンが競合しあって落ち着きがわるかった。

いちばん困ったのはからだの3分の1くらいにみにくい痣があったからである。

この痣は単純性血腫というものだ。

これは生まれつきある赤い痣で自然に治ることはない。

母親が落下して胎児だった僕が影響を受けた結果らしい。

ワインをこぼした状態に似ているということで、ポートワイン母斑ともいうそうである。

レーザーによる治療を考えたそうだが、当時保険がきかなかったことと、 「成長とともに目立たなくなるかもしれない」 と言った医師がいたせいで、母は早期治療をあきらめ様子を見ることにした。 この、成長とともに目立たなくなる…というのは根拠のない話であり、むしろ治療は早ければ早いほどいい、ということをあとで僕は知ることになる。

そのことを考えると、今でも正直イラっとする。 もし目の前にその医者がいたら、うしろから真空飛び膝蹴りを食らわせてやるかもしれない。

いろんなタイプの医者がいるが、 てきとうな、その場限りのコメントはやめてもらいたいものである。 まあ、いまさら言ってもしょうがないことなのだが。

僕はこの広範囲の痣に苦しめられた。

とくに成長期、思春期では、コンプレックスになった。

たとえばクラスに好きな女の子がいても、何にも言えなかった。

痣も大変だったが、それに匹敵するくらい大変だったのは目である。

目だけで数種類の疾患をかかえていた僕は、他の子供が味わうことの出来ない試練を受けることになった。

ちなみに当時母は敬虔なクリスチャンだったので、 頻繁に同じ信者同士の集会や聖書の勉強会に参加していた。 そのとき僕は必ず連れて行かれることになった。

その時すでに、僕は「さかまつげ」という恐ろしい現象に悩まされていた。 さかまつげとかさかさまつげとかいう、この病気なのかどうなのかわからない現象は本当にやっかいだった。 本来外側に向けてカールして生えてくるはずのまつ毛が、何らかの原因で眼球方向へ向けて生えてくるのである。 するとまつげが角膜を刺激して痛いし、目はかゆくなるし不快きわまりないのだ。

だから、僕は落ち着きがない子供だった。

いつも姿勢を変えたりそわそわしたり、とにかく長時間じっとしていられなかった。

そんな僕が、敬虔なクリスチャンだった母に同行して信者同士の集会や聖書の勉強会に連れて行かれ、そこで1時間から2時間くらいじっとしていなければならなかったのである。 これを試練と言わずに何というのであろうか。

やがて、僕が「さかまつげ」という恐ろしい現象に悩まされていることに気付いた母が、僕を眼科の医者のところに連れていくのだが、これをきっかけに僕の試練の第二幕が開くのであった。

病院で診察を受けて「さかまつげ」と認定された僕はその日から定期的に病院に連れて行かれ、あばれないように屈強なナース達に手足を押さえつけられ、毛抜きによく似た器具で問題のさかさまに生えていたまつげを1本1本抜かれたのである。 そのときの恐怖は想像を絶するもので、僕は恐ろしさに耐えきれずよく暴れた。

「神よ、なぜ僕だけこんな目にあわせるんですか?」

「神よ、あっ」

あまりの恐ろしさにあばれると先生が、全員呼んできなさいと言い、手の空いたナースが集まってきて、よってたかって僕を押さえつけた。

まつげを抜かれるときがまたそうとうに痛いのである。

大人でもイヤなのに、ましてや子供である。

そういう儀式が、あれは2ヶ月に1回だったか、3ヶ月に1回だったか、正確には覚えていないがとにかく定期的に病院で繰り広げられたのである。

それと、前から気になっていたのが、頭のてっぺんが少しへこんでいることだった。 ちょうどつむじのあたりがへこんでいるのだ。

「とうさん、僕の頭へこんでるけど、これ大丈夫なのかな」

父はしばらく思案したあとこう言った。

「それはな、坊主の袈裟と言ってむしろ縁起がいいんだ」

「……」

僕はある日、自分の左右の手の指の長さが違うことに気がついた。

とくに小指や薬指の長さの違いが歴然としていたのである。

それにマラソンをしたり、なにか運動をした直後などで呼吸が荒くなったときなどに鏡を見ると、顔の左右の色が違うことに気がついたのである。

鏡を見て向かってちょうど真ん中から左半分だけが、より赤くなるのである。 まるで線を引いたようにきれいに色が分かれるのがはっきり見て取れる。

これは成人したあとも同様で、よくお酒の席などで事情をしらない人が唐突に僕の顔を指差して

「顔の半分色が変わってる」

などと指摘したりする。

ついでに訳知り顔で、

「そういうのって内臓に疾患があったりするから気をつけたほうがいいよ」

とか

「一度病院で見てもらったらいいんじゃない?」

と言ったりする。

まあ、そのようにさまざまなことを思いつきで言われるのは仕方のないことである。

彼らは僕の出生のときの事情を知らないのだから。 母が小学校に上る前の僕をいろんな病院に連れて行って、ひとつひとつの疾患や変形の対処方法を根気よく模索したり実際にお金をかけて治療したことを知る人はいない。

そのことを思い浮かべると、手塚治虫の「どろろ」という漫画を思い出す。 百鬼丸という人物が登場するが、身体の大半を欠損した状態で生まれ、化物を倒すたびに1つずつ回復していくのである。

そんなこともあって僕は子供の頃に、実は自分は人間じゃなくてロボットなんじゃないかと本気で思っていた時期があるのだ。 夜な夜な母さんが僕が熟睡している間に体内の装置を調整しているだとか、髪の毛は実は作り物で、少しずつ調整しているんじゃないかと真剣に思っていたことがあるのである。

当時、人造人間キカイダーという実写の番組があって、僕はこれが大好きだった。 大好きというより、この物語は何か自分と関係があるんじゃないかと思ったりして人知れず夢中になっていたわけである。

とくにキカイダーになったときの左右の色やバランスが違うデザインがとても気に入っていた。

あれは、不完全な良心回路が具現化したものらしかったが、当時の僕はそれを自分自身に投影しひそかに親近感を抱いていたのだ。

欠陥だらけの身体だったことや、子供ならではの本来の節操の無さと厳格で宗教色の強い母からのプレッシャーの板挟みになっていた自分にぴったりはまったのである。 今考えると、いろんなことが矛盾していて辻褄が合わないと知るべきなのだが、いかんせん子供である。 まあ仕方のないことである。

ただ、そんな迷走状態にあった子供時代であったが、けっしてつらいとか自分は不幸だと思ったことはなかった。 なにしろこの百鬼丸もどきは、なんとか普通に生活できるだけの体になったし、普通に運動したり、友達と遊んだりすることに不自由はなかったのだから。

ただ、当時の惚れた女の子に「惚れた」と言うことができなかった。

それだけは心残りである。

自分に自信が持てなかったからだ。

自分が欠陥品だという意識を拭い去れなかったのである。

その2へ続く